2500年ものパリの歴史を語る生き証人!パリのセーヌ河岸
フランスパリを流れるセーヌ川での観光の醍醐味といえば、2500年以上のパリの歴史と共に過ごした建築物たちでしょう。ローマ帝国の支配から発展しフランク王国時代に首都となり世界有数の都市となった、パリの軌跡を語る世界遺産「パリのセーヌ河岸」をご紹介します。
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パリのセーヌ河岸とは?
パリの歴史を語る上では、セーヌ河岸の存在は決して欠かすことはできません。紀元前3世紀にセーヌ川に浮かぶシテ島にケルト系の人々が住み始め、パリを統治していたローマ帝国は、彼らを「パリシイ(田舎者・乱暴者)」と呼びました。これが「パリ」の語源となっています。
エッフェル塔からノートルダム大聖堂までのセーヌ川沿いを散策すれば、自ずとパリの歴史が見えてきます。ヴェルサイユ宮殿以前に、王宮だったルーヴル美術館や、フランス革命でルイ16世やマリー・アントワネットが処刑されたコンコルド広場など、まるで激動のパリの歴史を凝縮したようです。
初期ゴシック様式の傑作「ノートルダム大聖堂」とゴシック様式の頂点を極めたパリ最古のステンドグラスを持つ「サント・シャペル教会」は、建築様式を語る上でも重要なスポット。革命前には「王の広場」と呼ばれた華やかな社交場だったヴォージュ広場は、現在もパリで最も美しい広場と呼ばれています。
シュリー橋からイエナ橋までの約8kmが「パリのセーヌ河岸」として、1991年に世界遺産に登録されました。登録基準は、文化遺産(ⅰ)(ⅱ)(ⅳ)です。
カペー朝から始まったパリ
10~14世紀のカペー朝時代になるとフランス王国の都として、王がパリに定住します。ゴシック様式の聖堂が建てられ、パリはヨーロッパでのキリスト教の中心地としてその名を轟かせたのです。このカペー朝時代に、フランスの基礎が築かれたといわれています。
カペー朝が断絶し、1527年にヴァロワ朝のフランソワ1世がセーヌ川河岸のルーヴル宮を王宮としました。フランソワ1世は、フランスルネサンス期を代表する王です。右岸はこの頃から政治や経済の中心地となり、貴族やブルジョアたちの邸宅が数多く建ちました。
一方、左岸にはソルボンヌ大学があり、フランスの学問や芸術が発展したのです。現在学生の街として有名な、カルチェ・ラタンがあるのはその名残でしょうか。
19世紀以後のパリ大改造
1789年のフランス革命をはじめ、18世紀のフランスは激動の時代に突入します。1804年には、ノートルダム大聖堂でナポレオンの戴冠式が行われ、第一帝政や七月革命、二月革命などが起こり、1871年にはパリ・コミューンが誕生しました。
こうした時代の波を背景にパリの都市計画が始まります。19世紀後半のナポレオン3世の時代には、セーヌ県知事のジョルジュ・オスマンが、パリの大改造に乗り出しました。中世の趣は無くなったものの、世界中の都市計画のモデルとされるほど素晴らしいパリを作りだしたのです。
パリの地図を見てお分かりのように、道路を放射線状に作り、各交差点にはパリが誇る建造物を配置しています。世界最大の凱旋門があるエトワール広場からまっすぐ伸びるシャンゼリゼ大通りの延長線上にコンコルド広場やルーヴル美術館もあり、この景観はこの頃に造られたもの。パリが近代都市へと発展するベースとなりました。
パリ万博で建てられたさまざまな建築物も、世界中に多大な影響を与えています。ルーヴル美術館では、半地下階で要塞の遺構を見ることができ、その他長きにわたって増改築が繰り返された様子も垣間見られます。中庭のガラス製のピラミッドには近代的な要素もあり、まるで現在までのパリの歴史を語っているようです。
まとめ
世界遺産の「パリのセーヌ河岸」を観光するならセーヌ川の遊覧船がおすすめです。陸地を散策するのとは一味違った観光を楽しめます。パリの悠久の歴史を思いながら観光してみてはいかがでしょう。
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