グラーツは、ウィーンから西南約150kmに位置するオーストリア2番目の都市です。約900年前に始り、中世、ルネサンス時代においてハプスブルク家の都として繁栄しました。「中央で最も完全な形で、中世の趣を残す街」といわれています。今回は、オーストリアの世界遺産「グラーツの市街 歴史地区とエッゲンベルク城」をご紹介します。
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もくじ
「グラーツの市街 歴史地区とエッゲンベルク城」とは
ドナウ川へと繋がるムーア川が、グラーツの町の中央を流れています。そのムーア川左岸のシュロスベルク山には城跡があり、麓には旧市街が広がっています。「グラーツ」の語源は、スクラブ語で小さな城を意味する「グラデツ」が起源となっています。
13世紀に神聖ローマ皇帝位についたハプスブルク家が、スイスからオーストリアにやってきたのです。ウィーンを首都にして、グラーツには居城を置きました。そしてこの地は、南部の中心都市として飛躍したのです。
15世紀には、オスマン帝国の重要拠点として、フリードリヒ3世が居を構えました。イタリアから建築家を招き王宮や大聖堂を建て、美しい街が築かれました。現在も、数多くのイタリア様式の建築物が残っています。
州庁舎が建つハウプト広場を中心に、中世の趣を残す町並みが広がっています。堅固な要塞だったシュロスベルク城や州庁舎、市庁舎、霊廟などの歴史的な建築物や赤レンガの屋根をのせた美しい街並みが、訪れる人々の目を楽しませています。エッゲンベルク城へは、中央駅から西方向にトラムで行きます。
また、グラーツには名門のグラーツ大学や世界的に有名なグラーツ音楽大学、国際見本市や国際会議も開かれています。中世の趣を残す街として、またヨーロッパ有数の文化都市としても知られています。
1999年に「グラーツ市歴史地区」として旧市街が世界遺産に登録され、2010年にはイタリアルネサンスの影響を受けた建築物のエッゲンベルク城が構成遺産として加わり拡大登録されました。登録遺産名も「グラーツの市街 歴史地区とエッゲンベルク城」と変更されています。
登録基準は、文化遺産(ⅱ)(ⅳ)です。
アクセス
ウィーン・マイドリング駅からグラーツ中央駅まで急行で約2時間半。
空路はウィーンから約40分。市の南にある空港からバスで約20分。
「グラーツの市街 歴史地区とエッゲンベルク城」見どころ
グラーツ歴史地区は、四方1kmほどの小さな町なので歩いての散策が可能です。また、3kmほどのところには、エッゲンベルク城があります。歴代皇帝や貴族たちが愛し、作り上げた美しい街並みはあらゆる建築様式が混在しており、中世にタイムトリップしたような気分を味わえ心も弾むはず。それでは、「グラーツの市街 歴史地区とエッゲンベルク城」の見どころをご紹介します。
ハウプト(中央)広場
観光の起点となる三角形をしたハウプト広場は、17~18世紀の建築物に囲まれています。南側には、19世紀に新古典主義様式に改築され、素敵なドームがのった市庁舎があります。
また、グラーツに居を置き街の繁栄に尽力した、オーストリア大公ヨハンの銅像が備わる噴水も素晴らしいものです。市庁舎とこの噴水のコラボ写真は、必須ですよ!
16世紀中ごろに建設されたルネサンス様式の州庁舎もここにあり、行政の中心だったことが伺えます。
ルネサンス様式の傑作とされる州庁舎には、3層アーチの回廊を巡らせたイタリアルネサンス様式の幾何学の中庭と噴水もあり訪れる人々を癒してくれます。
また、州庁舎の後方には、武器博物館があり、甲冑を中心に約3万点ともいわれる武器コレクションを保有しています。また、広場には花や食品の市が立ち、人々の憩いの場となっています。
階段塔
かつて皇帝や大公の居城だった一角にある、二重螺旋階段。現在建物は州政府の所有となっており、この階段塔だけが一般に開放されています。
階段塔の入口は二手に分かれており、各階でひとつになりまた分かれ、再びひとつになり登って行くことから、「仲直りの階段」と呼ばれ愛されています。この建物は石工芸術の最高傑作といわれています。
シュロスベルク城
海抜473mにはシュロスベルクの城砦があり、ここから見える赤レンガ屋根の建物が軒を連ねる旧市街の眺望は見事の一言です。城塞はナポレオンとの和平条約により解体されましたが、時計塔と鐘楼は市民に買い取られ救われ現在も残っています。
1265年に造られた街のシンボルの、高さ28mもあるユニークな時計塔は見るべきスポットです。当初は時間を示す長針一本だけでしたが、分を示す短針が付け加えられ、現在のユニークな姿となっています。
また、「リーズル」と呼ばれる鐘楼に備わる鐘は、トルコ軍が残した101個の砲弾から作られています。5tの大きな鐘は、1日3回、101回鳴らされています。
霊廟
グラーツ大聖堂の手前にある、小さいけど美しい建物は皇帝フェルディナント2世が父大公カール2世のために建てた霊廟です。内部はグラーツ出身のバロックの巨匠フィッシャー・フォン・エアラッハによる設計です。イタリア人建築家作のファサードも見事ですよ。
エッゲンベルク城
エッゲンベルク城は、17世紀初めに造られた、城壁に赤レンガの屋根を持つマニエリスム様式の城館です。
フェルディナント2世から公爵の地位を授けられたエッゲンベルク氏により、1625年に古い中世の城を、華麗な城館に改築されました。
25ほどの部屋はどの部屋も豪華ですが、特に「惑星の間」は描かれる天井画や壁画、美しいシャンデリアには圧倒されます。
また、「日本の間」と呼ばれる小部屋には、鎖国中の日本と通商関係にあったオランダより、エッゲンベルク氏が買い取った大屏風があります。高さ182cm、幅480mの大きな『大阪図屏風』で、これを解体してアジアン風の絵と共に壁に埋め込まれています。
秀吉時代の庶民の暮らしぶりを垣間見られます。日本にも、このころの絵はあまり残っていないので見る価値大です。
まとめ
現在も中世の趣を残す美しい街グラーツ。芸術の都とも呼ばれており、音楽家のシューベルトや天文学者のケプラーゆかりの地もあります。
運がよければ、16世紀創業の皇帝のパンを焼いていたと伝わる、老舗パン屋さんでクロワッサンの原点といわれる三日月パンを買うことができるかも。
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