フレンチやイタリアンなどなど、ヨーロッパには日本人にもお馴染みの料理がたくさんあります。脇役でありながら、料理を引き立てるのに欠かせないのが野菜ですね!今回は、「黄金のリンゴ」、「大地のリンゴ」と呼ばれる、西洋料理に欠かせない野菜の歴史をご紹介したいと思います。
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「黄金のリンゴ」、「大地のリンゴ」とは?
「黄金のリンゴ」、「大地のリンゴ」の正体は、現在では誰もが違和感なく普通に食べている野菜なんです。さて何でしょう?世界中で育てられていて、食卓に上らない日はないほど知名度の高い野菜です。
実は、この野菜がヨーロッパにやってきたのは、大航海時代の16世紀。南アメリカからでした。これらは、アンデス山脈西側斜面の高原地帯で食されていた野菜だったんです。
1492年に新大陸を発見したクリストファー・コロンブスは、この野菜たちをヨーロッパに持ち帰ったと思われますが、2世紀も受け入れることはなかったといわれています。2つの共通点はナス科ということで、以前に毒性のあるナス科の他の野菜が持ち込まれていたことも好まれなかった原因かもしれません。
そろそろ正体を発表しましょう。「黄金のリンゴ」には諸説ありますが、艶々として赤く鮮やかな色と丸い形でリンゴに似ていることから名付けられた「トマト」を正解とします。イタリアでは現在も、「ポモドーロ(pomodoro:黄金のリンゴ)」と呼ばれています。
もう一方の「大地のリンゴ」は、奇妙な色合いででこぼことした不格好な姿から、食べたら病気になると嫌われていた「じゃがいも」なんです。「ポム・デ・テール(pomme de terre:じゃがいも)」pomme=りんご、terre=根っこという意味で、大地のリンゴ=じゃがいもです。
トマトが普及していなかった頃は、トマトなしでパスタを調理していたなんて、現在では信じられないですよね!でも、新大陸は「神も存在しない野蛮な地」とされており、そこからやってきた食べ物を口にするなんて考えられなかったとか…。でも、中世ヨーロッパを飢饉と戦争による食糧難が襲ったのです。ここから、嫌われ者の野菜たちの運命が変わります…。
「黄金のリンゴ」トマトの西洋史
16世紀の半ばにヨーロッパで初めてスペインに統治されていたナポリ南部に入ってきたトマトは、カラフルで可愛らしくじゃがいも程は嫌われ者にはなりませんでした。ナポリといえば、この地で誕生したマルゲリータ!トマトソースなしでは語れませんよね!!豊潤な香りと爽やかな酸味があるも強烈な癖や味はなく、肉や魚などの臭みを消す役目もしてくれる万能野菜として注目を浴びました。
ナポリの農民は度々飢えに襲われていましたが、気候が比較的温暖で日照時間も長く、年間を通してトマトを収穫することができたのです。
元々、飢饉などでパスタは、腹持ちの良い食べ物として重宝されていました。大きく育ったトマトは、ナポリの料理人アントニオ・ラティーによってパスタに合うソースとして使うことが考案されたのです。
そのパスタとの出会いが受けて、現在のような存在価値を見出したのです。というより、トマトがパスタに使われていなかった方が私たちにとっては驚きですよね。
もちろん、パスタだけでなく、肉や魚と合わせることもできたので、トマトソースだけを売り歩く行商人まで登場しました。しかも、安くて手に入りやすい食品と成長したため、愛好者が増えヨーロッパ中に広がったのです。
「大地のリンゴ」じゃがいもの西洋史
赤く可愛らしいトマトは、裕福な人々の庭の棚飾りなどに使われたのですが、じゃがいもは家畜の餌という立場でした。「食べたら病気になる」や「悪魔の食べ物」など、偏見の目に晒されていたのです。こんな時でもアンデスの寒冷地生まれのじゃがいもは、強く育ち、飢饉に苦しむ弱者の農民たちの味方になってくれたのです。
種イモを植えればすぐに芽を出し、土の中で実を付けるため、戦争などで敵に食べられてしまう心配もありません。しかも、でんぷん、ビタミンC、ミネラル、カリウムなどの栄養が豊富で腹持ちもよく、貯蔵もできる優れもの。火の中にポイっと投げ入れ、皮をむいてすぐに食べられるため、暇なく働く農民たちには絶好の食べ物だったのです。
栄養面や生産性に優れていることは、イギリスの経済学者「アダム・スミス」の『国富論』の中でも高く評価されています。現在も、ポテトサラダや肉じゃが、フライドポテトなどでお馴染みですよね!
まとめ
19世紀に入りヨーロッパの地で暮らせなくなった人々は、アメリカへと移り住みました。移民となった彼らは、慣れない土地で故郷を思い出しながら、じゃがいもやトマトソースで故郷を懐かしんだとか。
現在では誰もが知る人気野菜たちの歴史はいかがでしたでしょう。
栄養たっぷりの野菜を食べて、病気に負けない体づくりを…。
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