独立記念館は、かつてアメリカ合衆国の首都だったペンシルベニア州にあります。英国からの独立戦争時に、トーマス・ジェファーソンらによってアメリカ独立宣言が署名された、アメリカ史上忘れられない地です。今回は、アメリカの世界遺産「独立記念館」についてご紹介します。
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独立記念館とは?
アメリカの歴史において、英国から独立を果たしたことは、誰もが素晴らしいことと認識しています。悲しい歴史を一変させた象徴たる「独立記念館」は、ペンシルバニア州フィラデルフィアにあります。
この独立記念館では、後にアメリカ合衆国の初代大統領となったトーマス・ジェファーソンやフィラデルフィア発展に尽力したベンジャミン・フランクリンたち5人が起草した独立宣言を、1776年7月4日当時に英国の植民地だった13州の代表者が集まり採択ました。また、1787年にアメリカ合衆国憲法が制定された地でもあります。
『独立記念館』は、1979年に世界遺産として登録されました。
登録基準は、文化遺産(ⅵ)です。
アクセス
地下鉄マーケット・フランクフォード線(ブルーライン)、5thストリート駅から徒歩約2分。ビジターセンター(見学案内所)まで、徒歩で約1分。
フィラデルフィアと独立記念館の歴史
フィラデルフィアが、「アメリカ合衆国誕生の地」と呼ばれるようになったのは、当時、ペンシルベニア州の議事堂だった独立記念館で、アメリカ合衆国の独立宣言が採択され、合衆国憲法が制定されたからです。
ニューヨークから首都が移された1790~1800年までフィラデルフィアは、アメリカの首都となっています。首都がワシントンD.C.に移されたものの、現在もペンシルベニア州最大の都市で、北米有数の世界都市としても有名です。もちろん、アメリカ合衆国建国ゆかりの地として、人気の観光地となっています。
独立記念館は、もともとペンシルベニア州の議事堂として、建築家エドムンド・ウーリーがアンドリュー・ハミルトンを協力者とし、1748年に建てられたものです(塔以外)。フィラデルフィアは、独立宣言起草委員のひとりベンジャミン・フランクリンの功績もあり大きく発展し、1750年ごろにはボストンを追い抜き北米最大の都市となりました。その勢いはすさまじく、英国の領土内でもロンドンに次ぐ第二位の存在でした。
アメリカ独立宣言が、当時ペンシルベニアの議事堂だった独立記念館の広間で採択されました。以降「独立記念館」と呼ばれるようになっています。先ほどもお話しした通り、1787年には合衆国憲法が制定され、1790~1800年にフィラデルフィアが首都となると、アメリカ合衆国の議会議事堂としての役割を担いました。
アメリカの両院制議会の「上院」と「下院」は、この独立記念館で生まれたそうです。国民直接の代表とされる議員から成る「代議院(下院)」は、人数が多かったことから一階を、人数の少なかった「元老院(上院)」が二階を議場としていたことが語源になったといわれています。
独立記念館のみどころ
イギリス様式の小さくて簡素な、2階建てレンガ造りの建物です。「ここがこんなに重要なことを成し遂げた記念館?」と、思ってしまうほど。また、独立記念館の前に立つ、「ジョージワシントンの銅像」の凛々しい姿とのコラボ写真は、ここに訪れた記念にもってこい!
見学には向かいのビジターセンターで配られる、無料のチケットが必要です。セキュリティーチェックを受け、ガイドツアーのみで内部見学ができます。約30分のツアーですが、大人気なので早めにご予約を。
歴史の重みを体感できる内部
内部はデザインや装飾品、インテリアまで、苦難の末ついに自由を勝ち取った生き証人らしい、歴史の重みを醸し出しています。独立記念館の見どころといえば、やっぱり独立宣言が採択された大広間でしょう。ここには、独立時の13州の名前が刻まれたプレートが、机上に乗せられています。
中央の議長席には、古い椅子が鎮座しています。実はこの椅子、240年前にトーマス・ジェファーソン自身が座ったとされる椅子です。また、先ほどお話しした、「上院」と「下院」に分けられた原点とされる、様子も見ることができます。
独立宣言の時に鳴らされた「自由の鐘」
2080ポンドもある、独立宣言を読み上げた時に打ち鳴らされた「自由の鐘」も、必見です。とはいっても、これは伝説で実際に鳴らされたかは不明です。独立宣言後も、市民の行事や、選挙の日、議会招集の時にも利用されていました。ひびが二度入ってしまい鐘楼から外され、現在は隣接するリバティ・ベル・パビリオンに展示されています。
まとめ
独立宣言と合衆国憲法で述べられている「自由と民主主義の普遍原理」は、「自由と平等の国家」を作る上で全世界に重大な影響を及ぼしました。アメリカを独立によって一変させた歴史の生き証人、「独立記念館」に訪れてみませんか?
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