ブルガリア

ブルガリアの人々が守り抜いた修道院!「リラの修道院」

リラ山脈の奥深くにひっそりと佇む「リラの修道院」。ブルガリアの正教で、人々にとって心のよりどころとされており強い信仰を集めています。ブルガリアの大自然の中にある、壮大な修道院「リラの修道院」をご紹介します。

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「リラの修道院」とは


首都のソフィアから南に約120kmに位置する、ブルガリア正教の総本山として信仰を集める「リラの修道院」。歴史は古く10世紀に建立され、12~14世紀には国王や貴族たちの庇護により、現在のような形となった格式の高い修道院です。そのお陰もあり、ブルガリアで僧院文化が華開く要因となりました。14世紀末から500年に渡るオスマントルコの支配時代には、キリスト教への侵攻は制限されるものの、リラの修道院は別格で人々の心のよりどころとなっていました。

現在は、国内外を問わずトラベラーに大人気の観光地となっています。また、ブルガリア屈指の観光地であることはもちろん、文化的・歴史的・建築学的にも貴重な遺跡として高い評価を受けています。

『リラの修道院』は、1983年に世界文化遺産として登録されています。
登録基準は、文化遺産(ⅵ)です。

アクセス

首都ソフィアから車で約2時間半。(1日数本のバスが運行。)

「リラの修道院」の歴史


先ほども触れましたが、僧院の歴史は10世紀から始まっています。聖人イヴァン・リルスキーが、山にこもって修行に励んでいた時に神の声が聞こえました。次第に弟子たちが集まって来て彼らは僧院を建てました。それが発展し壮大な修道院へと成長したのです。ブルガリア国王の庇護の下で発展し、ブルガリアの中世の文化や宗教の中心的な存在となりました。

その後、ブルガリアがオスマン帝国の支配下に置かれた約500年間は、キリスト教の信仰が制限されるも、リラの修道院では自治権が許されており、ブルガリア正教としての存在を確固なものとしています。この間は、国内ではブルガリアの言葉や文化などが封印されるも、修道院ではキリスト教の信仰はもちろん、ブルガリア語の書物を保存しここで読むことなども黙認されました。

そういう歴史もあり、「リラの修道院」は現在もブルガリアの人々にとって、重要な存在価値のある場所となっています。また、かつて360の房に全国から僧が集まり、ここで寝起きを共にして暮らしていたようです。

僧院の建物は残念ながら、1833年に大火事をおこし、その際ほとんどの建物が焼失しました。でも、ブルガリアの人々の信仰心は強く、建築家や芸術家たちが集結し19世紀後半には復旧され現在に至っています。

「リラの修道院」のみどころ


城壁のような強固な壁に囲まれた門には、ブルガリア正教の世界をフレスコで描いた門があります。一歩中に入ると玉ねぎ型のドームと白と黒の縞模様をしたアーチ型の列柱廊が印象的な修道院が見えてきます。周辺のブルガリアの大自然を背景に堂々と立つ姿には圧倒されます。それでは、リラの修道院のみどころをご紹介しましょう。

聖母誕生教会


敷地内の中央に立つ、ドーム屋根の建物が聖母誕生教会です。「リラの修道院」のメイン的な存在で、火事の後の1834年から約4年の歳月をかけて、建築家のペタル・イワノビッチによって民族復興様式で建てられています。


白と黒の縞模様をしたアーチ型列柱廊の奥にある外壁や天井、柱や梁にはフレスコ画がいっぱいに描かれています。36の聖書の場面やかつてのブルガリアの人々の生活ぶりも描かれています。国内でも最高の保存状態とされる色鮮やかなフレスコ画は、民族復興期のイコン画家たちが描いたものです。

教会内部で一番のみどころは、正面奥で黄金に輝くイコノスタスです。制作には5年もの歳月をかけており、木彫芸術では国内最高なものだとか。幅は10mもあり、精緻な彫刻が施されています。

フレリョの塔


1833年の火災で唯一焼けなかったフレリョの塔。14世紀にセルビアの貴族フレリョ・ドロゴボラの寄進により建てられ当時のままの姿で立っています。色褪せもほとんどないのも立派なところ。1階にはお土産屋さんがあります。

歴史博物館

博物館の中には、縦81cm、幅43cmの僧ラファイルが作った木製の十字架が展示されています。細やかな彫刻刀で彼が彫った、104の宗教場面と米粒大の650人の人物を拡大鏡で見ることができます。これを掘ったラファイルは、あまりにも細やかで過酷な作業に制作後失明したといわれています。

まとめ

彩色豊かなフレスコ画を見たり、東方正教会にはなくてはならないイコン画を観賞したりすれば、ブルガリアが背負った複雑な歴史もみえてくるはず。リラの修道院に訪れて、往時の様子を思い浮かべてみてはいかがでしょう。

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