ロシア

激動のロシア史を現代に語る!モスクワのクレムリンと赤の広場

「モスクワのクレムリンと赤の広場」は、モスクワの中心部に位置し、旧ロシア帝国時代から政治、宗教、文化の中心地とされてきました。現在もクレムリン内にはロシア連邦の大統領府や大統領官邸があり、ロシアの政治の中枢となっています。それでは、ロシアの世界遺産「モスクワのクレムリンと赤の広場」をご紹介します。

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「モスクワのクレムリンと赤の広場」とは?

「モスクワのクレムリンと赤の広場」は、モスクワの中心を流れるモスクワ川沿岸に、ロシアの激動の歴史を語り掛けるように立っています。

クレムリンとはロシア語で「城塞」を意味しており、かつてここは政治と宗教の聖地でした。

このクレムリンの起源は、ユーリー・ドルゴルーキー大公が1156年に、木の壁と堀を備えた砦を築いたことからとされています。ここから、次第に放射線状に拡張され、発展していきます。15世紀後半にはモスクワ大公国の統治者「イワン大帝」の時に、レンガ造りの城壁と金色の玉ねぎ型のドームをのせた聖堂が鎮座する、現在のような美しいクレムリンになったのです。

総延長2,235mもあるとされる城壁には銃眼を備え、大商形の違う20もの塔が立っています。城壁内には、宮殿や大聖堂、霊廟や武器庫など、見どころがいっぱいです。

城壁の外側は、当初貿易のために造られた赤の広場となっており、後にロシア革命の舞台となりました。現在は、映画の撮影やロックのコンサートなどが、この広場で行われています。

1990年に世界文化遺産として登録されました。
登録基準は、文化遺産(ⅰ)(ⅱ)(ⅳ) (ⅵ)です。

アクセス

地下鉄ボロヴィツカヤ駅またはビブリオチェーカ・イーメニ・レーニナ駅から徒歩で約5分。もしくはアレクサンドローフスキー・サート駅から徒歩で約8分。

「モスクワのクレムリンと赤の広場」のみどころ

ロシアの首都モスクワの、観光の重要ポイントとなる「モスクワのクレムリンと赤の広場」。モスクワのことを、ロシアの人々は「母なる町」だと感じるとか。その中心部にあるクレムリンから、同心円状に広がった街並みは見どころも豊富です。この章では、ロシアのシンボルと称される「モスクワのクレムリンと赤の広場」の見どころをご紹介します。

ロシアの歴史の番人「クレムリン」のみどころ

日本の皇居の約4分の1の広さしかない、城壁内部の一画に見どころが集中しています。宮殿や大聖堂はもちろん、武器庫やダイヤモンド庫など、美の殿堂ともいえる壮麗な建設物を見れば、かつてここが権力の中枢だったと実感できるはず。荷物は中には持ち込めません。チケットオフィスの横に荷物預かり所があるので、預けてから観光しましょう。

ウスペンスキー大聖堂

ロシア正教の府主教会。歴代ロシア皇帝が戴冠式に臨み、モスクワ総主教の葬儀が行われた場所です。この建物は、当時モスクワのライバル的存在だった古都ウラジーミルのウスペンスキー大聖堂を模して1474年に建設されるも、地震により倒壊します。

イワン大帝は、イタリアの名匠「アルストーテリ・フィオラバンティ」の設計を命じ、1479年に再建されました。当時の最新技術を取り入れ再建され、壁と屋根はイコンとフレスコ画で埋め尽くされており圧巻です。これらを書き残した僧侶はなんと!1000人にも及んでいたとか。驚きですよね!

アルハンゲルスキー聖堂

1505年のイワン大帝の死を目前に、ヴェネツィアのアレヴィズ・ジュニアの設計で、アルハンゲル(大天使)・ミハイルを祀って建てられました。伝統的なロシア建築とルネッサンス様式が融合された造りも魅力的!
この聖堂は、ロシア皇帝の墓所となっており、46の棺が並んでいます。残念ながら見られませんが、イワン雷帝と息子の棺は、イコノスタシスの背後に安置されています。

ブラゴヴェシチェンスキー(聖母受胎告知)聖堂

イワン大帝がロシア人名建築家に命じ、1484~1489年に建てた皇帝の私的な礼拝聖堂。白亜の壁に映える金ぴかの玉ねぎ型のドームの外観が印象的です。

16世紀半ばの火災後に、イワン雷帝が修復しています。教会を取り巻くポーチは、イワン大帝の再建時に拡張された部分で、「イワン雷帝のポーチ」と呼ばれています。F・グレクやA・ルブリョフなど、イコンの名画家の作品は必見です。

イワン大帝の鐘楼

17~19世紀にかけて、モスクワで最も高い塔だった鐘楼です。イタリアのフィリアツィンが、1505~1508年にかけて本体を建て、その後1532~1543年にはペトロフ・マリーが八面体の優美な鐘楼をくわえました。
1600年にポリス・コドノフの命でさらに増築され、その高さは81mになりました。現在も、聖堂広場内でひときわ高くそびえています。鐘は全部で24個もあるとか。ウスペンスキー鐘の重量は64トンもあるんですよ!

大クレムリン宮殿

ニコライ1世が建てた、大宮殿。モスクワ川に面して立ち、代々の皇帝が居住した場所です。現在は、迎賓館として使われています。

鐘の皇帝

イワン大帝の鐘楼の横にある、高さ6m、重さ200トンの鐘。1836年に今の場所に設置されました。残念なことに、クレムリン火災の消火の時に、急速に冷やされ一部が欠けました。その欠けた部分でさえ11トンもあります。

大砲の皇帝

十二使徒教会の横には、超デカイ大砲が鎮座しています。当時世界最大を誇っており、重さは40トン、口径は89cmもあります。でも、実際には使われたことはないとか。

ダイヤモンド庫

王冠や宝石などのお宝を収納した博物館。何といっても、エカテリーナ2世にオルロフ伯爵が送った、190カラットのダイヤ「オルロフ」は必見です。

武器庫

ピヨートル大帝の命で、18世紀に兵器を収納する倉庫として建てられました。倉庫といっても美しい建物。残念ながら内部は公開されていません。

モスクワ誕生の地「赤の広場」

「美しき広場」として有名な「赤の広場」。クレムリン北東の城壁に面してある、長さ700m、幅130mの長方形をした石畳の広場です。14世紀後半にこの辺りに市場が立ち、その時にこの広場ができたといわれています。

赤の広場の「クラースナヤ」は、ロシアの現代語では「赤」という意味ですが、古代スラヴ語では「美しい」を意味しているため、「美しき広場」といわれているんですよ。この呼び名とは真逆で、コサックの乱の指導者ステンカ・ラージンが処刑されたなど、恐ろしい歴史も繰り広げられています。ソ連が崩壊したロシア革命の舞台となっており、今でもこの広場はロシアの象徴です。

それでは、モスクワの歴史を語る「赤の広場」の見どころをご紹介しましょう。

レーニン廟

「革命の父」と呼ばれるレーニンが眠る廟は、この広場にあります。シーズンには、観光客の行列ができるほどの人気です。1924年1月24日に亡くなり、8月に造られた最初の廟は木造でしたが、1931年にシューセフの設計により花崗岩造りの廟とされました。
ここにはレーニンだけでなくスターリンの遺体も安置されています。

聖ワシリー聖堂

この広場に来たらパッと目につく、色彩豊かな9つの玉ねぎ型のドームをのせた、聖ワシリー寺院。実名は「ポクロフスキー聖堂」といい、ロシアの聖堂で一番有名です。この前では、SNS映えの写真を撮る人で賑わっています。モンゴルとの戦いの戦勝記念として、1560年にイワン雷帝が建立しました。

中央にそびえる塔は46mの高さ。実は、建立当時は、カラフルな玉ねぎ型のドームはなく、地味だったとか。現在のカラフルなドームが備わったのは17世紀のこと。ポストニク・ヤコブレフとイワン・バルマが共同して設計しています。イワン雷帝が、これ以上美しい建物を造らないように、二人の目をくりぬいた話は有名です。

身の毛のよだつ話ですが…。
内部は迷路のようで、9の玉ねぎ型のドームはひとつずつが教会となっています。内部のバロック様式のイコノスタシスやフレスコ画、18世紀の回廊の模様も見応えありです。

まとめ

モスクワのクレムリンと赤の広場は、歴史とは逆にメルヘンチックな気分にしてくれる観光地ともいえるのでは?少し時間を取って、ゆっくり見て回るのがおすすめです。宮殿風の建物の中でお買物ができる、グム百貨店でショッピングを楽しむのもお忘れなく!