フランス絶対王政の象徴!といえばヴェルサイユ宮殿と庭園です。
『ヴェルサイユ宮殿と庭園』は、1979年に世界遺産に登録。2007年に緩衝地域が設定され範囲変更が行われています。登録基準は、文化遺産(ⅰ)(ⅱ)(ⅵ)です。
16世紀に西ヨーロッパでは絶対王政が確立し、当時の王たちは競って“我が地位の象徴”として贅を尽くした宮殿を建てました。「ヴェルサイユ宮殿」は、フランス絶対王政の絶頂期を築いたブルボン王朝ルイ14世によって建てられた、重厚かつ優美な白亜の宮殿です。
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ヴェルサイユ宮殿とは?
「太陽王」ルイ14世の命により1661年に着工した、フランス・バロック様式の最高傑作と称される豪華絢爛な宮殿です。21年後の1682年にほぼ完成し、その後も増改築され19世紀に入って完成しました。この宮殿を見たヨーロッパ諸国の王たちは驚愕し、オーストリアの女帝マリア・テレジアが『シェーンブルン宮殿』を、プロイセン王のフリードリヒ2世が『サンスーシ宮殿』を建てました。他の王たちもこぞって宮殿を建てるなど、社会的な影響も与えています。
ため息が出るほど美しい装飾が施された部屋はもとより、フランス革命やドイツの誕生をはじめさまざまな歴史の舞台となった宮殿史も紹介されています。壮大な宮殿を引き立てる、幾何学模様の庭園も素晴らしいものです。現在は年間600万人以上もの観光客が訪れ人気を博しています。
息をのむほどに壮麗なヴェルサイユ宮殿
臣下のニコラ・フーケが建てた「ヴォー・ル・ヴィコント城」が見事で、それに嫉妬したルイ14世が「これを凌ぐ壮麗で豪華な宮殿を」と建設を決意。ヴィコント城建設に携わった、建築家のル・ヴォーや名造園師のル・ノートルなど、一流の職人を引き抜いています。ルイ13世が建てた狩猟小屋しかない、パリ郊外のヴェルサイユの地を気に入り、ここに新宮殿を建てました。王は、貴族の反乱フロンドの乱でパリを追われた苦い思い出から、安全なパリ郊外に決めたようです。
3階建てで2つの翼棟を持つ左右対称の宮殿は、ルイ14世の功績を描いた天井絵のある王の大居室やマリー・アントワネットなど王妃たちが使った大居室など、どこを見ても豪華な設え。特に見応えがあるのは、テラスを埋め立て1684年に完成した「鏡の間」です。73mもの大回廊にアーチ状の17枚の大窓と対面に17枚の鏡を張ったラグジュアリーな空間となっています。もちろん、ゴージャスなシャンデリアも魅力的です。宮殿全体の床板から釘一本にまで、繊細な装飾が施されています。
1789年のフランス革命で、ルイ16世とマリー・アントワネットが捕らえられた後、一時期は見るも無残な姿になりましたが、ナポレオン・ボナパルトによって再建されています。
ルイ14世お気に入りの庭園
宮殿建設中に、ルイ14世は何度もここを訪れ、気に入らないところがあれば即やり直しをさせていました。中でも自慢なのは、800haもある庭園。約40年もかけて作られており、フランス式庭園の最高傑作といわれています。
幾何学模様のオレンジ園が有名ですが、神話の名前が付けられたいくつもの噴水がある噴水庭園も素晴らしいもの。300年前から変わらないサイフォン式で水を噴き上げており、春から秋にかけては大噴水ショーも必見。点在する彫刻たちも庭園を引き立てています。
ルイ14世はかつて、「庭園案内の手引き」を作るほど庭園に惚れこんでいました。招かれた客人になったつもりで、王おすすめのコースを散策してみてはいかがでしょう。
ピンクの大理石の回廊が魅力のグラン・トリアノンや、古典様式建築の傑作とされマリー・アントワネットお気に入りのプチ・トリアノン、アントワネットの田舎家などの、離宮も見る価値があります。
まとめ
連日、舞踏会や宴が行われた世界で一豪華といわれるヴェルサイユ宮殿は、フランス革命やドイツ統一、第一次世界大戦でのヴェルサイユ条約の締結など、ヨーロッパ史の権力劇場の場でした。そんな史実も考えながら、豪華絢爛な宮殿を見学してみてはいかがでしょう。
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