フランス

フランスの世界遺産「リヨン歴史地区」。赤茶の屋根と石畳の町並みが魅力の観光都市!

フルヴィエールとクロワ・ルースの2つの丘が聳える、フランス南東部の都市リヨン。ソーヌ川とローヌ川が合流する地にあり、ソーヌ川から西に広がる旧市街からクロワ・ルース一帯が、世界遺産に登録されています。細い路地が迷路のように街を走っており、ここを歩けば悠久の歴史の息吹が聞こえてくるようです。

 

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新旧が融合した都市、リヨンの魅力


趣ある石畳の小道
現在リヨンはパリに次ぐフランス第2の都市となっており、「美食の都」「絹の街」「金融の街」「ハイテクの街」と多くの異名を持っています。1996年にはサミットも行われ、インターポール(国際刑事警察機構)の本部が置かれていることでも有名です。

 

また、リヨンは美しさにも定評があり、フランス映画にも度々登場しています。『星の王子様』の著者サン・テグジュペリ誕生の地で、100年以上前に映画が生まれたのもこの街でした。ローマ帝国の時代、中世時代、ルネッサンスなど、歴史に彩られたフランスとの出会いが待っています。

 

リヨン歴史地区とは

リヨンは、古くから交通の要衝地として栄え、紀元前1世紀にはローマ帝国3つのガリアの首府とされました。商業都市や行政都市として名を馳せています。2世紀末にはローマの攻撃により衰退するも、カロリング王朝時代に司教座として復活し、その後は、ローマ帝国やフランス王領ともなり、繁栄と衰退を繰り返しています。その後は産業でも大成功を遂げました。

 

『リヨン歴史地区』は、1998年に世界遺産に登録されました。
登録基準は、文化遺産(ⅱ)(ⅳ)です。

 

アクセス

リヨン歴史地区までのアクセスは、
パリ・リヨン駅からリヨン・パール・デュー駅までTGVで、約2時間15分。駅から約3kmです。

 

リヨン歴史地区の産業史

13世紀からは絹織物業で成功し、「絹の街」と称されるほど繁栄しました。繊細で壮麗な絹織物を、貴族たちがこぞって買い求めたとか。マリー・アントワネットやナポレオンにも献上されています。18~19世紀にはナポレオンの保護もあり、ヨーロッパ最大の産地となりました。

 

ヨーロッパはもちろん、日本にまで輸出されています。ヨーロッパで流行った蚕の病気がリヨンにまで及びました。横浜港から輸入した日本の蚕と生糸が、リヨン織物産業の救世主となり、今でも友好関係が続いています。
15世紀後半にはフランスで初めて活版印刷が導入され、フランス語の本も初めて作られ成功を収めました。フランス・ルネッサンスの繁栄にも大いに貢献しています。この赤茶色の町並みは、その象徴といえるでしょう。

 

リヨン歴史地区のみどころ


フルヴィエール大聖堂

旧市街は「古きリヨン」と呼ばれ、見どころも豊富です。フルヴィエールの丘はリヨンが始まった場所で、紀元前43年に町が造られました。この丘にはローマの遺跡がたくさんあり、リヨンのランドマークのフルヴィエール大聖堂は、市民たちの献金で建てられたバシリカ式の壮麗な教会です。パリのサクレ・クール寺院同様で、リヨン・コミューンのキリスト教徒が社会主義勢力に勝利した象徴とされています。ケーブルカーでこの大聖堂まで登れます。

 

紀元前43年に造られたガリア最古の古代ローマ劇場も必見です。現在も夏には、ここで演劇が行われています。また、展望台からリヨンのフランス・ルネッサンスに彩られた旧市街の町並みや新市街、2つの川などリオンの街を一望でき、夜景も言葉を失うほど壮麗です。

 

フルヴィエールの丘から見るライト・フェスティバル

300以上のトラブールと呼ばれる、屋根付きの長い通路も通ってみる価値ありです。絹織物を雨でぬらさずに運ぶために造られました。絹の丘と街の中心のテロー広場を繋いでいます。この広場には商人たちが集まり輸出された壮大な歴史を感じられます。

 

川の畔で開かれる朝市にも足を運ぶ価値ありです。かつてはここに商人たちが集まっていた歴史を誇り、現在もリヨンの人々の日常にも触れることができます。

 

まとめ

パリのような華やかさはありませんが、石畳の道を歩けば歴史たちが話しかけてくれる、素朴な南仏に出会う観光を楽しめます。観光案内所のあるベルクール広場を起点に、リヨンを満喫してくださいね。

 

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